最近の臨床実習

 数年前、理学、作業療法士の臨床実習がどうなっているのかが国会の議題に上がり、令和元年度入学生から所定の研修を終えた療法士以外は実習指導に携われなくなった。

 研修ではこれまでの臨床実習の在り方を大きく変える正にパラダイムシフトのタイミングだと教わったが、それは学生の学ぶ権利に大きく配慮したもののように感じた。それだけ国会での議論が職能団体や養成校にとって衝撃的であったと言うことだろうが、何故実習が厳しいかと言うと、患者さんの命を預かると言うその一点が重要だからだ。

 学生の人権に配慮するのは結構だが、そこが揺らいでないかと危惧している。

 そもそもの議論の発端は、ある専門学校に所属していた理学療法学生が臨床実習の厳しさに自殺してしまったという事件なのだが、殆ど修行みたいな実習を6ヶ月もやった時代に学生だった私としては、実習でそこまでなるのかなと疑問でもあった。

 事件のことを調べていると、当事者家族のまとめた裁判記録に行きあたったので、一通り読んでみた。

 指摘すべき点は色々あるが、まず、学生は完全アウェーで実習に臨んでいること、そして学生は素人である。

 養成校は実習に耐えうる精神力と学力があるかどうか、実習に出す時点で判断出来ていなければならないし、学生も自身の心理状態に無自覚で実習を続けてはいけないということだ。

 臨床実習には必ず患者が介在する。指導者と学生だけでやっているわけではない。患者は治療を目的に入院、通院しているのであり、学生の面倒は好意で見てくださっている。患者に不利益があってはならない。

 患者は学生が学ぶためにそこにいるわけではない。そして、実習地も指導者も、見なくていいのであれば、仕事量が増えるだけの実習を取る必要はない。所感としては、実習生を取っても就職が増えるわけではないし、指導者は仕事が充分にこなせない場合もある。そこを敢えて後進指導の必要性を感じているから指導しているのだ。

 動機はどうあれ、学びたい人間が学ぶために設けられた機会なのだから、嫌々やる必要はない。

 例えお金のために資格を取るのだとしても、人を救ける為の資格であることを忘れないように、とは恩師が卒業時にくれた言葉である。

 

 実習では、自分のことでいっぱいになると、目の前のことをこなすのに必死になって、色々できなくなってしまう。

 伸び伸び学んで欲しいなと思うが、これは指導者側の心の持ちようも大切で、きちんと指導方針を伝えないといけない。

 私は最初に基本落とさないことを伝えている。成績が気になって、提出物や態度を取り繕ってしまう学生もいたからだ。

 どうせ学ぶなら、貪欲に知識に興味を持って貰いたい。そのためには、指導者も学ばなければならない。

 治療技術も大事だが、興味を持てなければ楽しくない。どうせなら楽しい方が勉強も捗る。

 

 実習生さんに、面白い話を聞いた。

「携帯電話は持ってきても大丈夫ですか」

「持って来るのはいいけど、時間中は鞄の中に入れておいてね。そういう指導はされているの?」

SNSに実習のことを書いたらダメと言われています」

SNSTwitterとか」

「はい」

「個人情報漏洩とか色々あるもんね。時代だなあ」

 私の実習中は、携帯電話がやっと普及し始めた時期だった。メールがなんとか出来るくらい。SNSとなると世界レベルで拡散するから、何かあると被害も大きいだろうな。

 時代が変わると対処法も変わる。

 教える側の情報のアップデートも大切なようだ。