表層と、深層の深淵

 名古屋で認知運動療法のアドバンスコースを受けてきた。時折襲う、脳の要求に何度か屈しつつ、3日間終了。体力の限界の為観光は断念。おみやげはういろ。

 3日目の講義の際、高橋先生がホンダのASSIMOは多分砂地では歩けない、という話をされていたが、ふと思い出したガンダムSEEDの一場面。
 バルトフェルドが砂漠でストライクに襲い掛かる場面、キラが砂漠で足を取られたストライクのプログラムをその場で書き換え、機体の動きを砂漠の環境に合わせることによって敵を撃退する。
『接地圧が逃げるんなら、合わせりゃいいんだろっ!?』
 きゃー、キラってばカッコイイ(じゃなくって)
 とどのつまり、触圧覚の環境適応と外界認識がきちんと出来れば、敵は撃退できると言う事。(そろそろガンダムから離れろって笑)
 しかし人間でそれをやるには随分時間がかかる。いや、現時点ではロボットだってそこまでは行っていない。ハードとソフトのバランスというのは、どんな環境でもついて回る難問である。

 数年前から表面だけを見ていたのでは駄目だと思っていたが、社会学神経心理学を齧って、少し自分の中の疑問が解けてきた。学校で習っていたリハビリは、表面からのアプローチでしかないが、取りあえず3年か4年で技術者を現場に送り出すには、その教育方法でないと、試験に合格したからといっていきなりは働けない。現場が求めているのは明日から使える知識であって、机上の空論ではないからだ。ただ、表層を追求していけば、必ず深層に辿りつく。表面の薄さと危うさに気づけば、何が核なのかに気づくのは、そう難しいことではない。但し、気づいた後は深層の深淵への長い長い旅が始まってしまう。
 振り向けば表面が何処にあったか分からない、では、スタート地点を見失ってしまうことになる。深層への旅は、表層を見失わないことから始まり、必ず表層へ帰らないといけないのだ。

 人間では接地圧を合わせるだけじゃどうしようもない。感覚統合をどう行っていくのか、表層と深層の一元化は可能なのか。そもそも分離していて、繋ぐものが何かあると考える方が、今の人工知能の研究を見ると妥当と思われる。ロボットだってハードとソフトと、それを動かす人間という要素がある。フィードバック・フィードフォワードだけでは説明のつかない所は沢山ありそうだ。