浮かばない

 メルロ・ポンティは、時間と他者(他者とは同じ時間軸の上の自分)は別物ではない、と言う。その瞬間は偶然であっても、運命だと感じるのは後のことだとも言う。歴史的には大きなことも、単なる恋愛も、どうやらこの方にとっては同じ判断軸の上にあるらしい。自分はそこらへんにいる普通の人間だ、と思っている人が歴史的大事件に巻き込まれてしまったり、その構成部員の一人になってしまったりするのも、その瞬間は偶然であって、後から書き換えられる歴史だと言うのだ。

 記憶は三秒経つと過去になるという。つまり体験された経験は、三秒で海馬から脳皮質の長期記憶が備蓄されるところへ運搬(?)されるということなのだろうか。忘れるべきものと、記憶すべきものを選別するのが三秒だということか。三ねぇ。三(笑)

 先日、師匠に、同僚男性について『どうせだったら一生面倒見てあげればいいのに』と言われた。いえいえ、年も離れているし、そういう相手じゃございません、と返したが、出会い的には運命臭かった。なんていうのもメルロ・ポンティ的には作られた過去なのだろう。ただの偶然ですよ、先生。二人並んでいるシチュエーションが浮ばない。イメージ化されない場面は現実にはならないものだ。イメージ=妄想かも知れないが、これが結構行動療法に使えたりする。そもそも社会自体が妄想の産物なのではないかと思ってしまう。人の気持ちが分かるか、という質問なら、迷わず“No”と答えられる。分かるわけがない。私達はシンパシーを感じているだけであって、それすらも主観、もしかしたら妄想でしかない。
 なんてことを語ると『きょとん』としちゃうような方ですし、それほど仲良くもありません。何より、私は扱いにくいですよ(笑)

 さて、未来の私すらも、他者であるというメルロ・ポンティさん。この方も相当扱いにくい方だったそうなのだが、もしかして、同類かしら。