注意とは

 注意の分類は学者によって諸説あるが、大きくは選択性注意と汎性注意に分けられる。車を運転している時に後方も含め、全体に払う注意が汎性注意。信号を見るのが選択性注意、と言う感じだろうか。一つの物に注意が向かないと選択性注意の障害(注意転導)と言われるが、選択性注意が充分でないということは、汎性注意も障害されていると考えてよいと思う。そもそも一つを選択できないものが、全体が把握できているとは考えられないからである。

 私は、注意とは風船のような物だと思っている。全体に注意を払うといっても、注意を払う対象がそこになければ向けようがない。何もない空中に集中することはあり得ない。何らかのランドマーク的な物が必要になる。人にしろ、物にしろ、事象にしろ。
 
 一つの目立つ風船があるとする。他のより気になるから拘って見てしまう。それはステレオタイプとは言えないだろうか。気になる風船をつつき続けると、割れるか、移動するか。その風船が人であればどうなのか。物語が二項性で始まるのだとしたら、一つの物に拘る=注意を向けるという行為は、物語の始まりと言う事になる。出会いは偶然であるものの、二項性の原理を当てはめればそこから何かが始まっていく。

 風船はあくまで比喩であるが、ふわふわと動き、移動するというところが、この世の摂理に何となく合致しているような気がする。空気を吹き込めば大きくなり、手荒に扱うと壊れ、いつかは萎んで小さくなる。まるで命のようでもある。