明鏡止水、これ大切

 スマニューでこんな記事を読んだ。

 

https://chanto.jp.net/articles/-/1005027

 

 笠井信輔さんのインタビュー(される方)だが、要約すると、寛解してから貰った手紙の内容、に関する思い、と言ったところか。

 メディアに出る人の影響力は大きいが、とは言っても個人だし、直接関係ない人にいちゃもんつけるのもどうかなと思う。予後は人それぞれ、がんになろうがなるまいがいずれ終焉には誰もが向かうのだ。メディアに出ている人の言葉に一々惑わされていたのでは、心身ともに保たない気がする。

 だから心理専門家がいるんだよって話になるのだが。

 

 私の場合は、元気になって良かったねとは言われるが、前と同じ身体ではないので、ありがとうございますと言いながら複雑な気分ではある。がんと闘って生き残った人をサバイバーなんて呼んでいるが、そういう一括りにしてしまう表現も余り好きではない。

 そういう思いを一々人にぶつけていたのでは、自分もぶつけた相手も両方壊れてしまう。受容は難しいし、できない場合も多い。

 障害受容(一部には死の受容とも)の段階はキューブラーロスの5段階が有名だ。 「否認」→「怒り」→「取引 」→「抑うつ」→「受容」と、字面だけ見ても、最初はなんじゃいなと思ったものだが、ちょっと噛み砕けば、「そんなバカな」→「何で私だけがこんな目に」→「代わりに○◯するから治って欲しい」→「何をしても仕方ない」→「」と言った感じか。

 否認と怒りをぐるぐる回ったり、抑うつで止まってしまったりすることもあるので、受容まで至らない人もいると学校では習ったが、その心理過程をサポートしていく医療従事者や家族、友人等もそういった心理過程に至ることはある。一緒に泣いて笑うのも貴重な人生経験なのだろうと思うが、怒り、否認でぐるぐる回ってしまっている人が、無関係の他者に思いをぶつけてしまうこともあるのだろう。

 

 こういう類の話だと、ではどうすれば良かったのか、という結論を考えがちだが、サポートされた側の気持ちから言うと、寄り添うくらいしか方法がない。これも24時間だと実はうざい。

 サポートする方の気持ちだと、みんなで分担がいいよね、なので、実に上手く出来ているのである。

 なんだか前回と同じ結論になりそうだが、ニュートラル大事、ということだ。

 決して、一緒に泣いて欲しいわけでも、一緒に死んで欲しいわけでもないのだ。(たまにはそういう人も存在するので事件になるのだが)

 

 但し、心理的な治療技術としての、傾聴、共感、という方法もあり、人によっては有効であるということも付け加えておく。