歪んだ関係

 介護は楽ではない。

 それまでの家族間関係性、被介護者の性格、介護者の職業や親戚関係、家屋環境…助言できる人間が近くにいればいいが、壮絶ケースでは、そういう人が近くにおらず、沼に嵌っていくこともある。

 

 リハビリにおいても同様で、認知症のあるなしは成否に大きく関わってくる。

 難しいのは、やることなすこと全て拒否ケース、易怒性で自己主張が強いタイプ、表出が全くなく、コミュニケーション困難なタイプ…認知症者とのコミュニケーション法はよく紹介されているが、そういう手法的なものが一切通じない方々は、一定数いる。どんな理屈を述べようとどうしようもない。

 ある時、理学療法士が腕に引っ掻き傷を作って帰って来た。「やられました」担当者の傷は日に日に増えていく。代行したPTもマスクを引きちぎられたと戻って来る。どんな方だろうかと様子を見に行ったら、そう激しい様子もない。リハビリ時間限定か?と思い、運動実施中に見にいくと、思いつく限りの罵詈雑言をセラピストに浴びせていた。これは厳しい。どうやら動きたくない人のようで、介護抵抗も激しいらしい。痛みがあるそうだからわからなくはないが、介護やリハビリで罵詈雑言を浴びせられ続けると、プロでも流石に凹んでしまう。

 この方は医師が早々に退院を決めた。職員の負傷者が増える、と零されていたが、どこに行っても同じことだ。その度に転施設先を探さないといけないご家族の心労もいかばかりか。手を出せば怪我をさせられるのは家族とて同じことだからだ。

 

 昨日の新聞に、介護の末祖母を殺した孫の裁判のニュースが載っていた。判決は執行猶予付きだったが、状況を知れば同情の余地はある、ということだろう。

「身内のリハは出来ないよ。どうしてもなんでそんなことが出来ないのってなるから」と恩師が言っていたが、介護にも通じそうだ。良くも悪くも思い入れがある分、介護者側も激しい感情をぶつけやすい。ましてや相手は動けない身。衝動的に過去の恨みが蘇ることだってある。

 これは関係性がない介助者も同様で、同じ施設で同じ担当者が延々と担当し続けることで図らずも関係性が出来てしまう。心理的にその人になんら思い入れもない人が入れ替わり担当し、情報共有する方が、お互いに負担が少ない。認知症者には馴染みの環境が良いと言うが、既に正しく周辺環境を認識出来ていない人にもそれが通ずるかは怪しい。被介護者の人権は考慮しないといけないのだろうが、関わる人の人権は考慮されているだろうか。介護者への攻撃だって傷害だ。

 マンパワー不足の施設では難しいかも知れないが、負担は分散するのが、大介護時代の利口なやり方ではないだろうか。