非婚主義?

 ある掲示板を流し読みしていたら、『30代過ぎた女性はいつまでも結婚しないで、まだいい相手が見つかるとでも思っているのか』といった内容の書き込みがあった。…この人、何かあったんだろうなと思いながら回答を見た。皆さん、結構真面目に答えている。真面目な質問と捉えた人もいたようだ。
『ほっといてか』と書き込みたくなるのをぐっと抑えて(笑)そりゃ、相手がいたら、してましたよ、みたいな。ただ、『いい相手』というのが、どういう相手なのか、そこがちょっと気になった。

 結婚に限らず、誰かと一緒に暮らす、ということは、人生の価値観が関係するのではないかと思う。実際、結婚生活を送っている友人も、そうでない友人も、生活や仕事にかける労力や負担というものは余り変わりなく、家族構成が違うだけの話だ。親と同居の独身の方が何かと気楽なのだろうが、親との価値観も合うとは限らないし、他人と一緒の方がお気楽なことだってあるかも知れない。何を問題と捉えるかも個人の解釈だし、その問題を回避するために人と付き合わない、というのなら、そもそも社会自体が成立しない。とは言え、個人の価値観の良し悪しを決められる人間は誰もいない。お互いの価値観を認め合えるか、或いは全く無視しても大丈夫なのか。擦りあわせてなんとか出来るのか…。家庭は、一番小さな社会単位だ。人間関係が存在する以上、社会問題も存在する。家庭に限らず、新しい関係を作り上げて行く為には、努力も、忍耐も、根性もいる。多分、説明責任も。正直、ちょっとめんどくさいと思う。そのめんどくささを一緒に解決してくれそうな相手がパートナーになり得るのだろう。キリスト教式の誓いの言葉みたいだ。或いはコブクロの歌詞?
 こうして見ると、社会の問題というのは、家庭に集約されているような気がする。結婚しない人間が増えたと言う事は、経済的な問題のみならず、関係を作るのが下手な人間が増えたと言う事になりそうな気がする。
 それも現代社会の問題だろうな。

 少なくとも二十年前は、寿退職、という言葉がまだ存在していた。現在では考えられない。単身で生活出来る女性が増えた一方、結婚した男性が働けずにいる。社会は確実に変化しているのに、家庭生活のスタイルが変わっていかない訳がない。
 上野千鶴子さんは、今の女性の価値は、美しさではないと言っている。自活できりゃ、単身でも構わない、ということなのだろう。男が養うのが前提ではないのなら、『いい相手』と言うのは、経済力オンリーという訳ではないのだろう。
 
 島田洋七さんが、浮気をしても離婚しなかった奥さんに、どうして自分みたいな男と一緒にいてくれるのかと理由を聞いたところ、奥さんは『おもろいから』と答えたという。
 つまり、一緒にいて楽しい相手がいい人ということなのだ。相手もそうかまでは気にせずに、一方的にでも。
 趣味、ダンナ、って言えるような男なら、ちゃっちゃと掴まえちゃうのがいいかも知れない。とかなんとか言いながら、そういう相手を見つけられずにここまで来て、別にいいかなぁ、なんて投げ遣りな気分でいる所も、タイミングを逃した女の言い訳か。

 冒頭の質問に敢えて答えておこうか。
『そんなおこがましいこと、考えてません』って。