諸行無常

 人に何かを伝えることに必死になっていると、自分のことだけを喋ってしまうことが多くなる、ような気がする。相手の状態を知るためには相手の言葉で相手自身を語ってもらわなければならない。心理学では自己開示、というが、お互いに自己開示が可能でなければ、信頼関係は築けない。50/50がいい関係なのだろう。
 
 携帯サイトやパソコンネットなどでの誹謗中傷事件が自殺を惹き起こしたりしているが、書くほうの不当性は言うまでもないが、少年少女、大人も含めて、自己信頼感が足りない人が多いのではないかと思う。
 あの人にあなたが悪口を言ったから、あの人の私に対する態度が変わった、と言うようなことを言われたことがある。そんなこともあるかも知れないが、自分がその人に信頼されているという確信があれば、そんな考えには至らないだろうと答えた。もしその内容を悪口と相手が捉えたなら、場合によっては悪者は私になるかも知れない。人の“噂”をするということは、その内容について自分自身も批判される可能性を背負う。
 相手は私の発言が影響力を持っていて、周りがみんな言う事を聞くと思っていたのだろう。それで周囲に自分を否定されたと思いこんだ、ということなのではないかと分析しているが、全く、人の口に戸は立てられない。不用意に人の噂話はしてはいけない。
 この場面で必要なのはセルフコントロールである。

 とは言え、私も自分に確固たる自信を持って常に事に臨んでいる訳ではないし、人の話をしないで世間を渡っていくことは難しい。『この人はこんな人』という考えは100人いれば100人違うだろう。自分が考えている事象は、あくまで自分ひとりのものであって、他の誰とも共有できないということを知らなければならない。つまりは、他人にとって私の考えの全ては妄想の産物ということになる。私の好きな○○さんは、別の人の中では違う捉え方をされているだろう。
 自分が知っていることは、社会の全てではなく、情報の片鱗だけだ。社会とは揺れ動き常に変動するもので、そこには自分が知らない他の力が常にかかっているものなのだ。

 だから、常に変化し続け、捉えどころのない自分でありたい。
 その事象を見ている人は、私の心の中にいる人だけではないのだから。