VOCALIST

 徳永英明さんがデビューした頃、神戸のNHK−FMにデビュー曲“Rainy Blue”のキャンペーンで来ていて、ちょっと透明な高めの声にうっとりしたものだ。今の方がちょっとハスキーでいい感じだけど。その後の“輝きながら”と合わせて、学生時代の思い出と重なる曲でもある。

 雨と言えば、桜が咲く頃の春の雨は特別な匂いがする。ちょっと冷たく、ちょっと甘いような匂いだ。空気も少し生温く、湿気ても真冬の冷たさは感じない。
 何度も重ねてきた出会いと別れの季節。何度来てもこの雨の匂いで春を感じる。学校の庭に咲いていた桜。電車とバスを乗り継いで二時間近くかかる学び舎に、やっと辿り着いたら疲れ果て、講義中にはよく居眠りをしていた。周囲は田舎で自然が一杯だったので、友人と山野に行き草を摘み、一時間に一本しかないバスを乗り逃して親に迎えに来て貰い、合コンに行ったら場違いな気がして何も喋れず、友達の彼氏への手紙を頼まれたり、十も年上の人を好きになって、バイト仲間に応援してもらったり、友達みんなでちょっと高めの弁当を頼んで、毎日は無理だなとか思ったり、お菓子の懸賞をみんなで当てようとお菓子を買いまくったり…こうして思い返してみると、私も人並みの青春を送っている。

“現在過去未来…あの人に会ったなら…”徳永さんの唄う“迷い道”がかかっている。
 歌の詞みたいなカッコイイ恋愛はしたことない。顔は思い出せるけど、名前を忘れちゃった人もいる。プライドを捨ててまで形振り構わず突っ走りたい年ではないし、(あんまり年のことを言うと、周囲の同年代にボロカスに言われるからなぁ…)元々石橋を叩いて(叩きすぎて壊しちゃうかも)渡る方で、先に行っちゃう人に振り回される。背伸びしても仕方がないな、ともっと早く気づけばいいのに今更気付いたりして。

 気がつくと曲はポルノグラフィティの“愛の呼ぶほうへ”に変わっていた。
 この歩みは確実ではないかも知れないけれど、何か手招きするものがあってその方向へ進んでいるのだろう。
 運命とか、偶然とか、色々あるかも知れないけれど、記憶は後から追認するものらしいし、そう思っておこう。