時間

 鳥の世話が必要なくなって、ぼんやりしている時間が増えた。考えてみれば、籠の前に陣取って構っている時間、餌をやったり水を換えたり、掃除をしたり、水浴びを待っていたりする時間、一日のうち仕事をしていない殆どの時間を一緒に過ごしていた。夜は早く電気を消せと催促するので、必然的に早く寝る。おかげで睡眠時間はしっかり確保していたが、のんびり何かを考えたり、物を書いたり、夜更かしたりすることは全くなくなっていた。
 ふと、空いた時間に何をしようかとパソコンを起動してみると、フォルダの中に残っている写真を検索してしまう。この時間は確かに存在していて、小さな幸せはすっとこの手からすり抜けていってしまった。
 命とは、どうしてこんなに儚いのだろう。

 ついついペットショップに足が向いてしまうが、連れて帰って、と、自己主張する仔はいない。この間まで飼っていた仔は、私の顔を見た瞬間バタバタと駆け寄ってきた。(単にお腹が空いていただけかも知れないが)人でも動物でも、出会いというのは、運命ではないかなと思う。人の方はちょっと、小難しいところがあって、そう簡単ではないのだけれど。

 大人がいつまでも泣いていては変なのだが、すぐに次の仔に目が行くと言うのも周囲には理解し難いらしい。もう一羽前(約9年前)の仔を失った時に、友人が『今度こそ納得が行くように育ててあげて』とプレゼントしてくれてから7年。私の命がいつまで続くかは分からないのだが、生きている間に一羽でも多く、大切に可愛がってあげたいと思うようになった。鳥を飼う人間のエゴなのかも知れないが、籠に入れて売られていることは事実で、何処に買われて行くかで運命が決まると言うのなら、一羽でも多く幸せにしてあげたいと考えたりもする。…当のほんにんがそう感じてくれるかどうかは、別の話で、確かめることもできないのだけれど。