スマニューでこんな記事を見つけた。
https://www.oricon.co.jp/special/58390/
3000円で買った命をどこまで世話出来るか、と言う問いかけなのだが、そもそも買った値段を価値だとする時点で生き物は飼えない。
お金を対価にしたものにその価値を求めるのは当然な気もするが、生体に関しては金額と価値は見合わないと思っている。
文鳥を飼っていたことがある。
一番最近に飼っていた子はオスだった。綺麗好きなのでカゴは清潔にし、卵を産む心配もないので壺巣を寝床に入れていた。これが遊び道具代わりにもなり、ボロボロになると入れ替えていた。
カナリアシードが好きだったが、脂質が多いと聞いたので少なめにし、サラダ菜を切らさずに与え、牡蠣殻は生がいいと聞いたので殻付き牡蠣を買ってきて乾燥させ、砕いて与えていた。
冬は小鳥用のパネルヒーターを入れ、夏は1日エアコンの部屋に置いていた。実習中に家族が留守にした時は心配で新幹線でトンボ帰りしたこともあった。かけたお金が愛情に比例するかどうかはわからない。ただ、可愛がるつもり(覚悟か)がないとお金はかけられない。
世話も楽しかったが、耳元で囀ってくれるのが可愛くて、追いかけて来てくれるのが嬉しくて、もう一生続けば幸せだと思っていたが、小鳥の寿命は短い。
送った後は泣いて暮らしたが、可愛いな、とは思うものの、次の子を迎えるつもりにはなれない。体力的に当時と同じクオリティで世話が出来ないことは明白だからだ。ここはお金では解決出来ない。幸せに暮らさせてあげられないのなら、動画でも愛でている方が良い。
挿し餌から大きくした文鳥の可愛さは格別だが、小鳥はデリケートだ。飼育初心者の頃、雛を育てていて保温が足らず、死なせてしまったこともあるし、番で飼っていて卵を産みすぎ、雛が大量に育ってしまったこともある。
今思えばオスの一羽飼いが一番手をかけられたなと思うが、文鳥は成鳥になるまで雌雄がわからない。雌は卵を産む分体力を多く使うので短命だ。偽卵を抱かせると卵を産む回数が減って体力温存に繋がると言うので探したが、当時のペットショップでは手に入らなかった。
大切に飼うと言うことは手間もお金もかかる。それには激しく同意するが、それ以上の思い出ができる。
それってもしかして、人が生きる意味にも繋がるのではないだろうか。
楽しいと思って生きなければ、自分自身にとっての生きている意味がない。
排他的でも退廃的でもいけないとは思うが。
文鳥は頭もいいし、飼い主もちゃんと認識する。カゴに入って来るのが誰の手か、ちゃんと顔を見ている。
本気で可愛がるつもりがあるなら、入手先はどうあれ、かけがえのない思い出が必ず出来る。
文鳥は本当に可愛い。それだけは間違いない。
ブログの中に最後の子を亡くした頃の記事が残っていた。
2008年。
そりゃ元気だわ笑。