時間を忘れる会話

 久しぶりに養成学校時代の同級生とご飯を食べる機会に恵まれた。
 時間はあっという間に過ぎた。久しぶりで楽しくて、また一緒にご飯食べようと約束して別れた。
 何よりも、お互いに悩んでいることや教えて欲しいことが聞けたり、情報が共有できたことが本当によかった。職場では『何をやっているか分からない』と言われて孤立しているが、『うんうん、あるある、そうそう』をたくさん聞けた。
 孤立している話をすると『そんなのでやっていけるの?』と心配された。
『仕事は仲良しごっことは違うから。臨床は面白い』と答えると笑顔で返してくれた。
 もう少し、頑張れる気がした。


 気心の知れた相手は、会話の呼吸が分かる。同じ知識レベルだと安心して話が出来る。
 無理に話を聞こうとしなくても。自然に相手の話を聞きたくなるし、気がつくと身を乗り出している。意識しなくても『嬉しい、楽しい、大好き』が実現されてしまう。
 これって多分理屈じゃないのだろう。苦手な相手に対してこういうことは出来ないし、自己開示も出来ない。
 壁を感じたら、『聞く作法』を駆使しなければならないのだろうが、最初から壁がなければ、言葉のキャッチボールは簡単に楽しめる。
 壁があるということは、お互いに相手を知らないということなのだから、それを前提にして応対するしかない。苦手意識を克服するのは容易ではないし、一度植えつけられてしまった不信感は簡単には拭えない。相手のいい所を探そうとしたって難しい。

 本のタイトルは忘れたが、苦手な人とか、初対面の人と仲良くしたいと思ったら、バイキング形式のパーティ等で、食事を取ってきてと頼むといいのだというような内容を読んだことがある。人のために何かしてあげている=その人の事が好き(かも知れない)という感情を植えつけるというのだ。本当かどうかは分からないが、頼みごとをすると、頼られている、と感じるらしく、ありがとう、どういたしまして、というコミュニケーションも発生するという訳だ。
 そんなに上手く行くかなぁ…?と疑問に思っているのだが、バイキングで食事や飲み物をとってあげる相手というのは、持って行くものに対して文句は言わない、気心の知れた人だ。何となく心理的欺瞞のような気もしないではないが。

 この方法、誰か試してみた人がいたら、結果を教えて下さい(笑)