言葉の数

『聞く作法』という本を読んだ。(渡邉美和子著 幻冬社刊 1200円)人の話が聞けているかな、と感じたからだ。
 というのは、どうも、テレビを見ても面白くない。バラエティとか、ドラマとか、深夜アニメとか、面白い番組が一杯あったのに、最近は早送りでついすっ飛ばし、結論ばかりを先に求めてしまう。じっくり飛ばさずに見たのは『BONES』位だ。私は、テレビ番組に何を求めているのだろう。面白さ?テンポ?濃い内容?情報…?
 クイズ番組も好きだったが、見なくなってしまった。何故だろう。

 人に『話を聞いてほしい』『話を聞きたい』と言われた時、私は出来るだけ口を挟まずにじっくり聞くことにしている。相手が話すのを止めた時も、自分が話していいかどうか聞いてからにし、相手がまた話し始めたら聞く体勢に入る。その方が情報は沢山入る。
 人は自分が話したい生き物だ。話すことによって存在感をアピールし、相手に認識させる。人の関心の70パーセントは自分にしか向いていないと言われる。生来的に自己中心的なのだ。でも、それは仕方のないことだろう。外界を観察し、判断するのは感覚器を持っている自分の身体で、その身体を持ち主である自分が気にしなかったら、一体誰が気にしてくれるというのだろうか。自分を認め、気にしてくれる人が『いい人』なのであって、自分が自分にとっていい人でなかったら、生きていく甲斐がない。
 話が広がるが、児童がいたずらをするのは、自分への関心を引くためだと言う。結果的に叱られることになっても、無視されるよりはいいと感じているのだろう。勿論、褒められたり可愛がられたりするほうがいいに決まっているのだが。

 テレビは基本的には一方通行の情報機器だ。視聴者が何を求めているのか、その場面で受け取った情報をどう感じているのかを、すぐに知ることは出来ない。しかし、会話は違う。その場で相手の感情や受け取り方に対処し、言葉を捜さなければならない。ただ、どちらも聞かないキャラだと、コミュニケーションは成立しない。語彙の多さは、会話上手には比例しないのだ。

 知り合いに、すぐ人の話の腰を折り、自分の話にしたがる人がいる。その人とは、直に会話すると全く成立しないのだが、メールだと上手く行く。余計な言葉を差し挟む余地がないからかも知れない。元々コミュニケーションは上手くなく、何とか自分のことを分かってもらおうと必死になっているのだろうなと思うが、余りに酷いので『そこで否定したら駄目ですよ』と言ったら意外に『そう?』と素直に返って来た。…もしかしたら、自分が話の腰を折っていることに気づいていなかったのかも知れない。

 しかし、もう少し味わえる番組ってないものか。どっぷり浸かって、画面から目が離せないくらいの。
 時間を忘れるほど夢中になるような会話が出来る相手とも最近出会えていないけれど。