本当の自分とは

 紅白歌合戦CDTVをビデオに録って元旦の昼に見た。大晦日スペシャル番組は通り一遍の物が少なくなって、バラエティに富んでいたように思う。大晦日にクイズ番組なんて、数年前じゃ余り考えられなかった。お笑いは今も強い。

 流行歌の歌詞には何故か閉塞感を感じた。世相を反映しているのだろうか。紅白歌合戦の選曲には全世代を意識しつつ、明るさを強調したものが多かった気がする。森山直太朗さんだけはちょっと違う気がしたが、フルコーラスで聞くと、強烈なメッセージソングだ。人を傷つけるくらいなら、自分のための努力なら惜しみなく出来るものじゃないのかと思うが、追い詰められると何も考えられなくなる。ポニョや大橋のぞみちゃんの可憐さに逃避したい気分にもなる。
 若ければ何とかなるというものでもない。人を評価するための価値観は、ここに来て大きく変わってきている。バブルから、ITバブルを越え、お金が全てを動かすことを身を持って体験してきた人々が、利潤を追求する余り偽装を生み出したのではないか。
 ただ安い物を追求してきた世間が悪いのか、外国の圧力に屈し輸入を促進し続け、国内農業に目を向けなかった政府が悪いのか…犯人探しをしてもキリがない。悪いと思う所を正し、どうすればよいか考えなくては、これからは今までと同じ暮らし方をしていたのでは、何もかもが枯渇してしまう。

 不況とエコで、自動車の活躍の場面は産業に限定されていくだろう。何より、燃料が高くては車の維持は出来ない。かつて造船業が衰退していった時期、造船所をお茶やキノコの生産に振り替えた事業所もあった。そんな事業の転換も企業は視野に入れなければ過ならないのではないか。個人農業を組織化し、株式会社化するという方法も取られている。食に関心が集まっている今、政府もそこに力を入れれば、仕事を求めている人たちの職場も出来る。休耕田が見直されている。コメをどんどん作って輸出すればいい。山の木が放置されている所へ人を回し、山の整備をしながら間伐材の利用方法を考えるのもいい。数年間でも外国への援助を減らし、その分国内へ投資すれば税収も増える。収入が増えてから外への援助のことは考えればいいのではないか。食のことをもっとしっかり考えれば、子供も育てやすくなるし、仕事があれば結婚もするだろう。数年限りでも消費税を3%に戻すとか、もっと長期的なスパンで物事を考えなければならない。税金を払っている国民一人一人の生活が一つずつ泡のように消えているのに、税金を使って一時だけしか効果のない助成金をやっても何の意味もない。それで税金を上げていたのでは元も子もない。税金を上げるだけで解決するような事態ではもうないし、上げれば上げるだけ国民生活は苦しくなる。
 人が求めているのは、自力で生活できる活力と、自分が生かせるステージだ。決して一時の施しなどではない。それが必要な人も、そういう時もあるのだろうが、それだけでは根本的な治療にならない。
 今の時代の閉塞感は、誰もが自分自身を生かせない事への苛立ちだ。人のせいにせずに生きていくためには、まず自分自身が力をつけなくてはならない。国を動かす中枢にいる人も、世間の片隅で働く私も、同様に見つめなければならない問題がある。

 本当の自分でいること。
 それは誰のせいでもない、せめて自分の事だけは自分の責任だと自覚し、努力することだ。
 誰の前でも下を向かない自分でいられなければ、誰も認めてはくれない。
 辛いときは誰かの力を借りてもいい。けれどいつかは、作らない自分自身と、自信を持って向き合えるように。