大腸がん、発症まで

 2018年2月末。

 あと少しで臨床実習が終わるという頃、色々な体の不調に襲われていた。

 血液検査ではずっと貧血で、フェログラデュメットという鉄剤を飲んでいたが、どうも胃の調子が悪い。何年も前から逆流性食道炎で胸焼けに悩まされていたので、その延長だろうと軽く考えていた。

 お通じもいまいち。食欲はどんどん落ちていく。入浴中に居眠りする。

 それでもまだ、いつもの不調とそう変わらないと考えていた。今思えば正常化バイアスだった。

 3月1日。臨床実習が終わり、久しぶりに連休を取ることにした。

 3連休。休めば回復すると思っていた。

 が、そうはいかなかった。食欲はどんどん落ち、一日中ファンヒーターの前で体を温めても改善しない。右脇腹の腹痛で、胃の調子が悪いのではないと分かった。

 主治医に検査を依頼し、結果を持って大きな病院へ。

 痛い、寒い、しんどい、フラフラのまま何時間もの検査と待ち時間をクリアし、内科の医師に告げられた病名は「隠しても仕方ないから言うけど、大腸ガンです。周辺臓器に転移している。手術になると思う」

 造影CTには、腹部の三分の一近くを占める大きな腫瘍が映っていた。これは、誰が見ても危ないものだと分かる。

 これは死ぬかもかな、と先生の言葉を遠くに聞きながら思った。

 焦りもせず、狼狽もせず。どうしようか。どうしようもない。すべてを病院に任せて、まな板の上の鯉になるしかないのだ。

 それから毎日、内科の先生に呼び出される。生きているか確認されているかに思えた。数時間の待ち時間のあとの数分の診察。内科の先生は毎日ため息をついていた。

 食事は喉を通らない。ラコールという流動食を処方された。これが美味しくない。

 普通の食事も食べられず、薬局で高齢者用の流動食を購入、家では野菜ジュースと豆腐を食べた。痛みはどんどん強くなっていく。

 緩和ケア内科、糖尿病内科、と毎日のように受診、三時間以上の長い待ち時間は、もう死んだ方がましと思うほど長かった。

 

 最後に外科の受診を指示された。

 外科の先生は若い男の先生だったが、顔色も変えずに「切れると思いますよ」と一言だけ言った。

 手術は4月下旬に決まった。この時点で、1ヶ月も先の予定だった。

 そこまで、生きていられるのか?

 痛みは耐えられないほどになっていた。