子供の数

  桜田氏の発言がまた物議を醸している。日本の将来を憂える人の発言としては、分からないこともない。

  

  私のペンネームは、むかーし昔小説を書いていた時の名残だ。

  掲載していたサイトはもう今はなきインフォスフィアの個人HP(インフォスフィアはOCNに統合。法人向けサービスだけ存続)と、メルマガだけだったのだが、メルマガのサービスは今でも継続しているようなので、探したらこのブログのようにしれっと残っているかもしれない。

 

  何故いきなりこんな話題を振ったのかと言うと、正に子供の数について、メルマガに小説を書いた記憶があるからだ。

  当時、タモリさんの番組(トリビアの泉だったと思う)で、日本人は今のままの出生ペースだと300年後には絶滅する、だったと思うが、そういう計算をやっていて、当時まだ適齢期真っ盛りだったので、何気に危機感と排他感を覚えたものだ。私に関係あるのかな、という気持ちだったろう。ネタとしては興味深かったので、日本人が希少民族になった未来、という題材で短編を書いた。オチは忘れたが。

  

  で、私個人の意見としては、野党煩い、だ。この発言の前後にどんな発言があったか分からないが、ここだけ見れば別に如何なるセクシュアリティにも言及していないし、女性しか子供は産めないのだから、日本の将来を憂える立場としては、別にいいんじゃないかと思う。今の時代背景を考えると、女は子供を産むだけの機械じゃないとか、女性の尊厳が、とか、女性は働きにくい、とか、女性をめぐる人権の上にセクシャルマイノリティーの問題も重なって訳が分からない事態でもある。

  言葉の上の男女平等が示すものは、男女雇用機会均等法が定められて以降それっぽくはなっているが、女性医師は夜勤が出来ないから少なくしてと言った某大学の入試問題に見るように、女性が子育てに従事することを前提にした社会は覆っていないのだ。実際、共働きしたいけど、子供が手がかかるから厳しい、というお母さんは私の周囲にもいるし、逆に無理にでも預けて働かないと、と言っている人もいる。掘り下げていくと、女性しか子供が産めない、女性が主に子育てに従事している、女性も働かないと生活できない、しかし女性は男性ほど体力持久力はないのに見た目の雇用条件だけが平等っぽくなっている→同じ給料出すんだから同じ成果を出せ的な。結構無茶苦茶な世の中である。

  これなら男が働いて家で女が安心して子育てできる環境を作る方がマシなような気もするが、男は男で働きすぎたり家庭を顧みなくなったり色々ある。女性だって子供を育てるだけが仕事じゃない。男女共同参画センターというものが地道に各地で活動しているが、真の平等は男女の条件を同じにしないと得られないだろう。

  なら、男も子供を産めるようにすれば良い。それは今は無理なんだから、子育てを女性が主に担っている現実も変わっていないのだから、男女がそれこそ均等に子育てに関われる、また、子供を持っていない人も子育てに関われる仕組みを作って行けばいいのではないか。

  だったら日本の将来を憂える政治家さんの発言も生きてこようというものだ。一概に女性蔑視で片付けるものでもない。

  300年後、日本人が世界で一人になっていたら。

  小説のオチを思い出した。300年後、歴史上最後の日本人が、保護されて隔離されて人生を回想するオチだったような気がする。

  当時はそうでもなかったが、今は日本人と言ってもハーフ、クオーターも増えているし、帰化して日本人になっている人も増えている。歴史的、生物学上の日本民族の絶滅は、300年よりもっと早いのではないか。地球上に日本語と日本文化と日本国という仕組みだけが残り、日本民族は1人もいない時代がやって来るかも知れない。その時には今生きている日本人は誰もいないが、今から300年前なんて江戸時代だ。思えばそんな先の話ではない。今子供がいない人も、社会全体のこととしてもっと危機感を持たないといけないと思う。

  そういう意味では、3人産んで、は、現状の社会システムでは実行困難な非現実的な選択に思えるが、出来るのならそうしてもらえる方が日本の将来としては安泰だと考えるのは自然で、別に問題のある発言でもなんでもないと思うが、この発言でピリピリする人は、日本の将来をどう考えているのだろうか。