意欲と生き甲斐

「時間潰しやったらもうええで」

 一応リハビリ室には来てくれたものの、筋トレを始めた途端、ネガティブワードを連発し始めた患者さん。アライメントも崩れているし、体力も落ちている。動きたくないのはよくわかる。が、それを伝えたところで逆ギレされるのがオチなので、ふーん、と聞き流しておく。結局最後まで運動はしてくれたが、終始ネガティブワードを連発していた。

 後でナースに聞くと、その人はリハどころか生活そのものにあまり意欲的でないと言う。抑うつだな、と思ったが、入院うつっぽいので、帰るしか方法がないが、実は退院が決まっているという。前よりはちょっとマイルドになった、そうで、どれだけキレ散らかしていたのかと心配になるレベルだ。そういえば、リハビリ室に来た時も、異質な物を見るような目でぎろぎろと周囲を見回していた。

 休みの人の代わりに行くと、こういうことが時々起こる。ラポール取るのは大変だ。

 

 生活そのものをゲームのように楽しめる人もいれば、ゲームにのめり込んで生活を疎かにする人もいる。

 楽しみを見失って、生けるしかばねのようにぼんやりベッドの上から動かない人もいる。

 うつの病態は様々だが、好きなことをする時だけは動けるので始末におえない。サボっているようにしか見えないので、健常者からすれば関わりが難しい。

 誰もが楽しく生きているわけではないのは、中学生の頃授業をばっくれてたりしたので分からなくもない。思えばちゃんとわかって聞いてた授業は殆どなかった気がする。改めて勉強し直さないと頭に入らないのだ。

 これがうつっぽいと自分だけではどうしようもなくなる。子供でも大人でも誰でもなり得る。

 脱却出来る方法は、誰かに根気よく関わり続けて貰うくらいしかない。早めに専門家に繋がれば問題ないが、意外と気づかれにくく、サボってるようにしか見えないことも多い。また、このタイプの人は自分の気分や状況もよく理解していないが、フィードバックすると更に落ち込むので、妥協策を考えたり、アドバイスをするよりは、雑談しながらそばにいたり、人を鬱陶しがることもあるので、遠位監視で放置したりと、小手先が必要な場合もある。

 気晴らしと言っても、側から見て、意味のある活動とは思えないことも多い。

 人生が楽しいかどうかを分けているのは、脳内物質の出方次第だと思うので、人付き合いの悩みや生き方の悩みも、脳内物質次第と言ってしまえば身も蓋もないが、そもそも人の生きる意味を追求する必要性を私は余り感じていないので、冒頭の発言に戻れば、生きると言うことはどれだけ有意義に時間を潰せるかということに他ならないと思う。

 有意義の解釈は人それぞれなので、社会通念を逸脱しない程度に楽しいことを探そう。楽しければ大体うまくいくものだ。