抗がん剤をやめた理由

  薬には副作用がある。というのは一般常識だが、病気を治す、という性格上、それは最低限だと思っていた。

  抗がん剤に出会うまでは。

  病院の化学療法室のベッドで看護師に副作用の説明を受けても尚、もやもやっとした理解しかしていなかった。

  これは、これだけは、体験してみないとわからない。説明書きや体験談を読んでいても、本当に分かるのはやってからだ。

  術後の七転八倒の苦しみを乗り越え(というか単に時間が過ぎただけか)、少しづつ動けていた段階でのレベルダウンのダメージは想像以上だった。副作用の説明はパーセンテージだ。「20パーセントくらいの人に出ています」と言われれば、あとの80パーセントに入らないかなと淡い期待を持ってしまうのだ。

  感覚障害は必発と言われていたので、一応覚悟はしていたが、足が痺れる程度のものかと思っていたら、自分の感覚とは思えないような強烈な違和感だった。冷たいものへの感受性、流れる水への感受性はガラリと変化する。休薬期間にはましになるが、5回、6回とやると恒久的に感覚障害を残す人もいるらしい。手足末梢が強いが、長袖やストッキングを着ると、服との擦れもピリピリと痛かった。

  それでも、ここまではまだ想定の範囲内だ。

  胃の痛みと嘔気がほぼ毎日続き、薬を飲んでも改善しない。食事が取れないので何回か点滴にも行った 。

  そんなこんなで1クール終了。

  休薬期間を経て、2クール目開始。

  この時点ではまだ、苦しくても完遂すれば生き残れるのだと本気で思っていた。

  食べないと、と言われても食べられない。栄養はどんどん悪くなり、体重も減っていく。痩せすぎて着る服がなくなった。

  ある日、朝起きると、目が開いているのに視野が暗い。起き上がって暫くすると、緞帳が上がるように徐々に明るくなった。

  私は元々目が悪い。これは不味いと思った。

  副作用に粘膜異常としての眼症状の説明はあったが、視力低下は頻度が低いと説明を受けていた。頻度が低いと言っても、確率の話だ。出てくれば100パーセントなのだ。薬を完遂して生き残れても、介助を受ける身になってしまっては元も子もない。

  残っていた薬をまとめ、次の点滴は受けないつもりで診察に行った。

  主治医は、「仕方ないね」と残念そうにしていたが、それ以上は何も言わなかった。

  肝臓の数値が改善していなかったので、経過観察をすることになった。あとは定期的なエコーとCT検査。再発の可能性は否定できない。

  

  以前も書いたが、薬には半減期がある。Wikipediaによると、エルプラット(オキサリプラチン)プラチナ成分の半減期は15分から20分らしい。ゼローダは0.4から0.8時間。数値だけを見れば早い排泄だが、元々がん細胞に取り込まれることを想定している薬だ。体にどの程度の期間影響が出て残るのかは数値で計れない。感覚障害のgladeが一段階改善するのに13週間かかるとも書いてあり、私の場合も寛解するのに3、4ヶ月程度かかっている。ただ手足末梢のピリピリ感や、舌の痺れは時々ある。味覚障害はほぼなくなった。

  やめてから胃の調子は徐々に良くなり、術後食から少しづつ段階を上げて、今はほとんど普通食だ。肝臓の数値も改善し、栄養不足のせいだったかなと主治医に言われている。体重も10kg増えた。

  今のところ再発もない。目の症状も出なくなった。

  結果的に、胃腸障害による栄養不足が解消したことにより、諸症状も改善したのではないかと思っている。栄養不足は食べるしか改善策はない。しかも体に反映されるまでに時間もかかる。

  私の癌は原発巣から周辺臓器に大幅に浸潤転移していた悪性だったので、ステージは2だったが、3に限りなく近いと言うことで、主治医が抗がん剤を勧めた。その選択は間違っていなかったと思う。

  ただ、私は類稀に見るヘタレなので、苦行には耐性がない。

  先生には申し訳ないが、出来るだけ楽に生きたかったのだ。