8割の生き方

 3月が来て、再び契約更新。

 交渉は不調に終わり、現状維持が決まった。

 同時に、どこかでほっとしている自分がいる。

 結局、全力で仕事ができるほど自信はなかったのだと自分を納得させた。不本意には違いないのだが、この不健康を作ってしまった要因は、全力で仕事をして身体を痛めつけてきたことではないかと自問自答してみる。

 収入は手取りで元の約6割。正社員に戻っても8割超えないだろう。それなのに執着する必要があるかどうか。

 これまで、仕事はずっと楽しかった。休日出勤や残業もなんとも思わなかった。仕事の質を上げるために勉強もした。しかし、病気になって、職を失い、復職してみると、学びが収入に直結していたわけではなかったことに気づいた。

 人の健康と命に携わる仕事だ。クオリティを求められて当たり前だから、努力しなければとずっと思って来た。

 多分、間違っていた。もっと適当で良かったのだ。私財を投げ打って学んだ意味などなかった。ただ、搾取されただけだったのだろう。もちろん、患者さんのせいでは微塵もないし、学ぶことも仕事も楽しかったのだから、これまでの生き方を否定はしない。でも、これからは今までと同じやり方では、搾取され続けるだろう。過度に努力する必要はもうない…と思う。

 

 多い休みをどう有効に使うか。

 病欠していた時、この機会にしたい事をしたら、と言われたが、したいことが出来るのは、身体がよく動き、疲れず、心がすっきりしている時だけだ。術後、体重が増えず、持久力もギリギリだったが、やっと自信が出てきた。もしかしたら、今こそ楽しいと思うことを精一杯やるべき時なのかも知れない。

 職場は、まだ2年しか経ってないから(フルタイムで働けるのかどうか)わからない、と言うが、恐らく本音は違うだろう。その証拠に非常勤のまま常勤出勤しろと言ってきたのだから。

 大体病後一年くらいで殆どの人は常勤で職場復帰しているようだが(一方、退職を余儀なくされ、元職復帰出来なかった人が60%いると言うデータもある)、ステージによっても差があることは分かっている。

 ステージⅡの3年生存率は約76%、5年生存率は62%(うろ覚えだが)と言われている。しかし、この中にはあらゆる年代が含まれるのだ。40歳と80歳の生存率は当然変わってくる。年代だけでなく確率を左右する変数は色々あるはずだ。恐らく一般的な数値を参考にして「まだ無理」と言っているのだろうなと思うが、うっせえわ、と言いたいくらいのところをぐっと押さえて、ここはボーナスの代わりに休みがあるくらいのつもりでいるしかない。

 

 定年退職後、家でぶらぶらしているお父さんが、やることがなくて、奥さんに邪魔っけにされる図が浮かんだが、うちはそういう家族構成ではないので、邪魔っけにはされないものの、気分は近い。どうして、時間があると、何かしなければ、と思ってしまうのだろう。マスト思考はもうやめないとなあ…と思いつつ、人生を楽しむのにはどうしたらいいのだろうかと、悩んでしまう。