輸血の記憶

 手術前の一ヶ月間、自覚症状は痛みばかりで、貧血については認識はなかったのだが、血液検査の結果では極度の貧血で、数回輸血をしていただいた。

 その度に交差適合試験をしないといけないのも手間だったが、下手をすると命に関わるので省くことはできない。

 ベッドの上で、頭上に釣られている赤い血液バッグを見ながら、学生の頃にマクドナルドの無料券に釣られて友人と献血センターに行った事を思い出していた。あの時お気楽にした献血は、こうやって誰かの命を救っていたのだろう。

 手術の時も準備はしたようだが、しなくて済んだと執刀医が仰っていた。

 

 コロナ禍で、献血が減ってしまっているらしい。献血バスも学校への周回も密になりやすいだろうし、献血センターへの来場者も減っているそうだ。

 抗がん剤もしたし、貧血は治っていないので、協力したくても出来ないが、日赤のホームページには、完治後5年経過後は献血可能となっている。

 血液だけは人工の物は出来ない。

 いい物食べて身体を作って、せめてお世話にならないように、しっかり貧血だけは治していきたい。