不機嫌なベッド:コミュニケーション能力と問題解決能力

 今日、多くの病院、施設ではFIMと言う日常生活能力評価チャートが使われている。海外版は版を重ねているようだが、著作権の関係で日本で使われているのはver.3となっている。

 そのFIMの項目では、コミュニケーションと問題解決は別の能力として評価される。

 人間も動物なので、生存本能として群れる。コミュニケーション能力は生きていく上で重要だが、人間の場合、失われても生存は可能だ。実際、病に倒れて障害を得ても、保護を受けて生きている人は多い。人間以外の動物にはこういう現象はない。

 

 先日、コミュニケーション能力と問題解決能力がリンクしない場面に出くわした。

 九十代の高齢者だが、会話は闊達で、記憶もしっかりしている。話している限りは、数年前の記憶もあり、特に違和感を感じなかった。

 ある時、リハビリで書字を試みたのだが、それまでニコニコとしていた当人が、鉛筆と紙を見た瞬間、「こんなん嫌い」と急に不機嫌になった。それは驚くほどの表情変化で、本当に嫌いなのだと分かる。コミュニケーションが可能なので、言語能力は維持できているのだろうと考えていたが、どうやら判断が甘かったようだ。

 書字は字を見て形を認識、読みを想起して視覚イメージとして保持、ペンで紙に写していくという段階的な作業が必要で、何処かの段階の能力が欠ければ成立しない。この方の場合は、視力、記憶保持能力が欠けていたのではないかと思われる。書字を求められている→嫌い、と言う判断が出来ているので、理解は可能であるが、遂行出来る能力がないと判断したため、不機嫌になったのだと考えた。

 問題解決には他にも推論や仮定、実際に動くなどの能力が必要だが、それが解決すべき問題であるという理解が可能であるかどうかが前提であると思う。そこがわからなければ錯乱するばかりだ。なので文章としての言語理解は重要であると思われる。

 読字は可能だったので、視覚イメージを塊で記憶出来なかったのではないかと思うが、如何せん九十代の高齢者である。とっくに自立生活は難しい年齢なのだから、無理はすまいと諦めた。

 コミュニケーションが可能でも、必ずしも視覚理解や問題解決能力が保たれているわけではない。FIMでは、問題解決能力については、人に依頼してやって貰っても点数はつく。この方はジュースが飲みたい、靴下履かせて、などの要求は出来るので、介護者がいれば生活維持は可能だろう。

 たまに年齢不相応なスーパー能力を発揮する高齢者もいらっしゃるが、大概は年齢相応かそれ以下なので、過度に努力を要求しない方が良さそうだ。

 

 しかし「嫌い」ってワード、パワーあるな…と改めて思った次第である。